緊張しないでいつもリラックスした人になりたい

昔何かで(ラジオかネットか)、

あんまり親しくない間柄の人で、

2人きりで新幹線や電車に乗ることになった時に、

気まづい人と、気まづくない人がいる

というのを聞いて、


私めちゃくちゃ

気まづい人(そして多分相手にもそう思われてる)

だなあと思いました。


気まづい人というのは、

会話するのがしんどくて、なんとなく気を使う人。

 

気まづくない人とは、
一緒にいるのが心地よくて、
いつの間にか仲良くなれる人。

 

という意味です。

 


今になって思うと、その気まづさというのは

「緊張感」

なのだと思います。


気まづいグループに入ってしまった人も、
自分が緊張しないでリラックスできる相手とだったら、普通に過ごせるのだと思います。

 

気まづいの壁を越えれば、むしろユニークで面白い人が多いと思います。

 


ああ、緊張感を取りたい。

 

人と接する時に、いきなりニュートラルでリラックスしていたい、

そしたら、人と接するのがどんなに楽になりだろう。

 

いつもリラックスした人。

私の長年のありたい姿です。

 

動作をゆっくりすると、優しくなれる

おはようございます。

 

昨日1日、ゆっくりを意識して過ごしたら、なんとなく、せかせかしている日よりもいい1日でした。

 

まず、イライラすることが減った。

 

急いでいると、人にぶつかったり、レジがなかなか進まないことにイライラしたり、余裕がなくなります。

 

昨日もスーパーでわたしが並んでいた列の進みが猛烈に遅くていらいらしかけたけど

 

「そうだ。ゆっくりでよかったんだ。
急ぐ必要なんて全くないわ。」

 

と気付いたことで、ゆったりとした気持ちで待てました。


その後、買い物カゴを戻していると、のんびりペースのおじいさんと腕がぶつかってしまい、

 

いつもなら「すいません」とボソッと言って、さっさと立ち去る私ですが、

 

動作をゆっくりとしていたので、おじいさんから

 

「よそ見していて、ごめんなさいねえ。
全然気がつかなくって。すみません」

 

みたいに話しかけられるゆとりもあって、

 

「いえいえ。こちらこそすみません。」

 

とゆっくりとしたペースで答えることもできて、

おじいさんが一人分の買い物をしていて、腰が曲がっていて、ちょっと足が悪そうだなあとかそう言うことにも気付いて、
おじいさんの背景まで想像すると、ぶつかっても全くイライラした気持ちにはなりませんでした。


急いでいるときのほうが、同じように急いでいてイライラしている人とぶつかったりしやすい気がします。

 

そういう波動を引き寄せてしまう、というのがあるんだと思います。

 


ゆっくりと過ごして最初に発見したことは、

優しい気持ちでいられる

ということです。


ゆっくりと動くので、物の扱いが優しくなります。

 

いつも急いでいて戸棚をばったんばったん、食器をガッシャンガッシャン、音を立てまくっていたのだけど、

動作をゆっくりすると、
いろんなものを丁寧に扱えます。

 

それがどうして自分まで優しい気持ちになるのかはちょっと分からないけれど、
少なくとも殺気立ったオーラではなくなっていて、自分自身がその変化を1番感じ取っているのだと思います。

 

自分自身に対して、安心感が生まれる、のです。

 

今日も、少し早く起きました。

昨日をゆっくり丁寧に過ごしたら幸せだったので、今日はいつもよりも朝起きるのが辛くなかった。


朝起きられないのって、嫌なことがあったり、ストレス、幸せを感じられないとか、そういう原因もあるのかもしれないと思いました。

 

ゆっくりとヨガとストレッチをして、
そしたらゆっくりし過ぎて出かける時間ギリギリになってしまいましたが、
どうにか走らないで駅まで向かうことができました。

 

電車に間に合わない!!


って、必死で駅までダッシュするのって、それだけで相当エネルギー使うし、しかも無駄なエネルギーの使い方だと思うのです。

 

時間に追われないように、自分のゆっくりペースを作って行きたいです。

幸せを感じるために直ぐできることは、動作をゆっくりとすること

最近時間がなくて、ついに便秘になってきた。
トイレを我慢するほど時間に追われていたからだ。

 

このままではよくないなと思って、意識的に動作をゆっくりとしてみることにした。

 

ゆっくりにするとどれ位効果があるのかなと、少し検索したら、いい効果がたくさんあるみたいだ。

 

一言でまとめると幸せになれるっぽい。

正確に言うと、幸せに気付ける、という方がしっくりくるかな。

 

この本も読んでみたい⬇︎
「ゆっくり動く」と人生が変わる (PHP文庫)

 

さて、だけど時間がないから急いで早くなってしまうので、ゆっくりする時間なんてあるのかな?と疑問が湧くが、

わたしの場合は、どうやら自分で忙しさを作り出しているだけな気がする。

 

無駄が多いような…

そしてそのしわ寄せで時間の帳尻を合わせるために急ぐことになる。

 

 

わたしの場合はまず、スマホをやめる。

これだけでかなりの時間が捻出できる。

さらにいえば、お酒を飲む時間もなくせば、もっともっと余裕ができそうだ。

 

あとは、欲張らない。

いつもバタバタと忙しく動いている人って、やることが人よりもたくさんあるから なんだと思う。

 

うちの母はいつも焦っているのだけど、家族にあれもこれもやってあげたい!!っていうのが根本なのだと思う。

必要以上に焦っているから、
物を落としたり、ぶつけたり、怪我したり、せわしない。

 

わたしもそれを受け継いでて、
夫に対してあれもこれもやってあげてるのかもしれない。

夫がお風呂から出たら、いいタイミングで飲み物を出したり、料理も温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、なんて考え出すと、相手のペースや料理のペースになり、焦るのだ。

 

ゆっくりいるコツは、マイペース。

 

自分の心臓の鼓動をあげてまで、周りに合わせる必要はないのだと思う。

 

最近聞いたのだけど、人間は心臓の鼓動のリミットが決まってて、その回数だけ鼓動がすると寿命になってしまうのだとか。

長生きするには、心臓もゆっくり、息もゆっくり、とにかゆっくりが大事なのです。

 


動作やしゃべり方がゆっくりの人の方がモテるというのも、いろんなところで聞く話だ。

早口の人って、一緒にいると疲れるんだよね。聞き逃さないように、早い動きについていこうとすると、それだけで体が緊張状態になるからだ。

 


というわけで、わたしは猛烈にゆっくりと過ごしたくなったのだ!


今日は少しだけ早く起きて、
朝のスマホチェックも直ぐにやめて、
朝ごはんは味噌汁もおかずも事前に作ったけれど、夫のタイミングで夫に準備してもらって、
ゆっくりとヨガのポーズを数ポーズして、
時間がなかったから自分の朝ごはんは諦めて(いつも立って食べている)、だけどプロテインを座って飲んで、
いつもより5分早く家を出たおかげで、
駅まで走らずに、そして電車も座れました。

 

今日も引き続きゆっくりとを意識して過ごそう。

久しぶりにワクワクする1日の始まりです。

毒が体に充満しないように

なんだかここ数日忙しい。

 

食事をゆっくりとる時間、思う存分寝る時間がなくて、
電車やバスに間に合うように、ダッシュでいることが続いている。

 

そうなってくると、自分の気持ちなんて感じる余裕がなくて、いろんな感情や思考が自分の中にゴミのように溜まってくる。

 

そういえばカバンの中も、クローゼットの中も、ぐちゃぐちゃだ。

 



今日も薄っすらと仕事に行きたくないなあと思う。

本当は、やりがいとか、楽しさとか、そういう気持ちであふれている人でいたいけど、
薄っすらと

 

イヤだなーーーー

 

と思う。

 

仕事の内容がどうこうというよりも、自分の気持ちの持ちようのクセなのかな。


イヤ、あんまり深く考えないようにしていたけど、
やっぱり仕事がシンドイ。

 

嫌なことを見える化してみよう。

 

朝7:00に家を出ること
夫の朝ごはんをセッティングして、
自分のお弁当を準備して、
身支度するだけでもう時間がない。
立って朝ごはんを食べて、ダッシュで駅まで走る。
これだけでもう疲れる。

 

ラッシュのピークに都心の電車に乗ること。
アホみたいに混んでいる。
駅からオフィスまではサラリーマンとOLの行進。
自分もその中の1人だと思うと、誰かに操られているような、シラけた気分になる。

 

職場では同じ仕事をしている人がいないので、基本放置されている。
時々業務の勉強しているけれど、興味がないので直ぐに眠くなってしまう。
コソコソとネットサーフィンをすることの罪悪感。
ほぼ喋らないから声が枯れそう。
会議が多いのだけど、寝ないようにするのが拷問のようだ。

 


仕事がつまらないのは自分のせいなのかな。

 

でもね、仕事に成長とか求めて、たくさんの仕事をしても、体がキツイだけだったから、
最低限の仕事で、取り敢えず生きのびる収入があればいい。
最低か。

 


ネガティブが体の中に充満してきたので、吐き出してみました。

 

うっかり読んでしまった方、すいません。

人と比べてしまい、できない自分に自信をなくす

昨日は演劇教室に行ってきた。

 

今日の初回の人も、演技上手だったなあ。
おまけに若くて外見も整っている。

全体的に参加者のレベルが高かった。

 

比べてもしょうがないんだけど、
自分が大根すぎて恥ずかしくなる。

 

コミュニケーションの練習も、私のリアクションはやっぱり薄くて、
「断然こちら(わたしじゃない方)がよかった」と言われ、
断然、まで言わなくてもいいのに、と少し傷つく。

 

トークをするワークも、自己紹介をするワークも、とことん自分が緊張していて、下手で、つまらない人だなあと思う。

 

昨日のレッスンで、自信なくして、自己肯定感はかなり減った。

 

リアクションも表情も存在感も人懐っこさも、全て持っている人を見ると、自分がいたたまれなくなる。

 

というわけで、今日のレッスンは成功体験を得ることができなかったけど、
物事は初めてから少し経つと、踊り場になるから、ここでやめないことだよね。

コミュ障のレベル

コミュ障っていうと、
コミュニケーションに重度障害があるレベルの状態をイメージします。

例えば、人の目を見て話しをできないとか、
挙動不審であるとか、明らかに目立つレベル。
5段階評価で表すと「1」かな。


たいていの人は、ここまではいなかくて、
人の目を見て笑顔で会話するくらいはできるけど、

本当は緊張していて、
次に何を話そうか、
変なことを言ったらマズイなとか、
会話をすることに緊張しているのだと思います。
5段階評価では「2」とか「3」。

 

なんとなく感じるのは自己肯定感が低くて、
自信がないというか、
相手の反応をうかがっているというか、
そういうコミュニケーションになってしまうのです。

 


一方で、
会話をするのが嫌だなと考えたことがない人達もいるようです。
「人間大好き!」な、自己肯定感が高い人なのかなと思います。
自分で自分のことを受け入れているし、
自分は人のことも受け入れているし、
だから、相手が自分のことを受け入れてくれることに疑いを持っていないタイプです。
5段階評価では「4」とか「5」


コミュニケーション能力が高いというのは、このレベルの人を言うのだと思います。

 

私の自己採点では、本当は「2」くらい。
だけど、歳とともに、
頑張って頑張って「3」「4」くらいに見られる表面上のスキルを身につけていますが、無理をしているから、結構疲れます。


だけど、人生をよくするには、この「無理」がない状態で人と関われるようになりたいなとおもいます。

表現力を身につけるために姿勢!?

演劇ワークショップで最初に習ったのが、

 

姿勢

 

です。

 


大きな声を出すことでも、
滑舌でも、表情でもありません。

ただ、そこに立つだけです。


だけど、ほとんどの人には、クセがあります。
重心がずれているのです。


緊張がとれてニュートラルな状態の、
だけどバランスが取れた状態の姿勢に直してもらいます。


私は以前、別のところで前首(首が前に突き出てる状態)を指摘されたことがあったので、
気を付けたつもりでしたが、
やっぱり前首でした・・・

 

首の後ろに緊張があるようです。

あとは、肩が前に縮こまって上がっているのを、
横に開いてリラックスした状態に直してもらいました。


重心も後ろに引けているみたいで、
これは消極的な性格がそのまま表れているみたいです。。

 

正しい姿勢になったものの、

そこから動けない・・・


少し動いたり、話したりするだけで、
すぐにいつもの姿勢に戻ってしまいます。

日ごろから体に覚えさせないとです。

 

前首については、別の日に、更に注意を受けたので忘れないようにメモしておきます。

 

前首でいるだけで、
疲れたような印象に見えてしまうとのこと。

 

確かに、写真で見ると、私って姿勢悪いなあと思うことがあって、
それは前首が原因なのだと思います。

 

私が二重顎なのも、きっと前首に関係しているのだろうなあ。

 

首を正しい位置にするだけで、疲れます。

だけど、姿勢がよくなるだけで、ちょっと素敵な人に慣れたようなセルフイメージがあがります!