人前で話せるようになるには練習しかない。

昨年は事務職をしていたので、
人前に出て話すような場面はほぼなかったのですが、

最近始めた新しい仕事は、
社員向けに色々と説明会をする場面があります。

 

そういう仕事、私にとってはかなりストレスです。

 

”人前”というのがとにかく苦手なのです。

 

緊張するし、早く終わらせたいから早口になっちゃうし、
自分でも微妙な説明だったかな・・・と多々思います。

 

とにかく、この緊張感だけでも、どうにかならないものか。


演技をする役者さんたちは、
舞台で思い切り自然体で演技をしています。

しかも、表現力が豊かで惹きつけられます。

 

昨年、数回参加した演劇ワークショップは少しレベルが高かったので、
(演技指導をしてもらっても、全然できなくて辛かった)
もう少し初心者でも大丈夫そうなところはないかなと探してみたら、
社会人向けの演劇ワークショップを発見しました。

 

よし、これだ!

 

コミュニケーションについて悩み続けて30年

わたしはコミュニケーション能力が低いです。

 

日常生活を送る上で困るほどではないけど、苦手意識があります。

少しの時間ならどうにか頑張れるけど、

長時間&大人数になってくるとしんどい。

人疲れを起こします。

 

小学生か中学生位から自覚していたので、30年来の悩みです。

 

 

 

もっと楽しく人と一緒に過ごせるようになるにはどうしたらいいのかずっと悩んできました。

 

どちらかというと受け身のコミュニケーションの傾向があります。

自分が喋るよりも、人の話を聞く方が断然ラクです。

 

他人の気持ちに共感するという機能は動いているみたいなので、相手の気持ちを考えるように気を使っているけれども、
でもこれじゃあ、とっても疲れるのです。

 

自分がラクにコミュニケーションを取れるようになりたい。

 

課題としては、

 

緊張していること
表現力が乏しいこと
発想力が乏しいこと
反応の範囲が狭い(常識に縛られている)

 

多分この辺りがカギなのだろうなと思うのです。

 

だけど、いろんな本を読んでも、カウンセリングを受けても、一向に変わりません。

 

困ったわたしは、昨年コミュニケーション能力改善のために数回参加した演劇をまたやってみることにしました。

 

80点を目指す

ここのところ、めまぐるしく環境が変わって、気持ちがあっちに行ったりこっちに行ったりしています。

 

疲れがたまる原因が一つわかったので、忘れないようにメモしておきます。

 

何事も100点を目指し過ぎてたのが、全ての疲労の原因でした。

 

100点てことは、何一つ失敗が許されない極めて緊張感のある状態だったのです。

 

色々疲れてきたので、まずは80点で良しとします。

あとの20点は、よくなる楽しみでもあり、意外性への可能性でもあり、諦めというゆるさでもあり、ゆとりがもてる幅でよかったのです。

 

これに気がついて、すーーっときもちがらくになりました。

 

自分だけじゃなくて、周り(特に相方)にも100点求めて、プレッシャーだったろうなあ

 

ゴメンね。

父語録

傘→コウモリ

スーツ→背広

サンダル→つっかけ

ハンガー→えもんかけ

カーブス→カボス

ニトリ→ニコス

コリアンダー→こりゃなんだー

PCウィルス→バイキン


なんとなくわかるけど・・・w
家族は自動変換しています。

そんな父は72歳です。

道行く人にあだ名をつけています。

コミュニケーションのワークショップで、
ほぼ初対面の人同士にあだ名をつけあう、ということをやりました。

 

名前や個人情報をほぼ知らない状態なので、
外見や動きやしゃべり方、ファッションなどの情報のみであだ名を付けます。

 

例えば、
背が高ければ、ノッポ、
オタクっぽければ、ひきこもり、
美しければ、美女、
とか、なんでもいいのです。

 

これが結構難しい。

個性的な何かがあれば、あだ名をつけやすいのですが、
とがったところのない標準的な人であればあるほど、
特徴をつかみづらいのです。

 

ちなみに私は、
おかあさん、ママさんバレー、アラサー、とか、そういうかんじのあだ名でした。
そんなかんじなのか~、まあ普通っぽいね。
外見の特徴も、動きの特徴もあまりないと思うので、あだ名付けづらいだろうなあ。
女性だからたぶんに気を使ってるのだろうなあ~とも思います。
本人を目の前にして「馬ずら」とかそういうのは言えないだろうからな。

 

一方私も、若い子はほとんど同じに見えるので、
若者、とか、真っ赤(着てる服の色そのまんま)とか、そんなあだ名になってしまいます。

これって、その人の特徴をよーーーく観て、その人に興味をもつ練習になるなあと思って、
そのワークショップ以来、電車の中や、駅のホームで知らない人を観察して自分なりのあだ名をつける練習をしています。

 

ただあだ名をつけるだけなのに、
自分のボキャブラリーや、興味や引き出しの深さが必要になってきます。

 

いちおう私の中でルールがあって、
本人に伝えられるあだ名(ブラックもあり)をつけるようにしています。(知らない人だから伝えたりしませんけれど)

あとは、なるべく掘り下げたあだ名にすること。
キレイな人がいても、”美人”ってひとくくりにしないで、
ビーナス、妖精、バラ、ネオン、幸薄、女優・・・
いろんな美人がいて、その細分化をするように頑張っています。

 

大学生風だとしても、
理系なのか、文系なのか、何年生なのか、私立か国立か、偏差値は高いのか低いのか、
大学デビューなのか・・・
観察をして妄想してみます。

 

とは言っても、私は全然特徴を捉えられなくて、
若者、マダム、三人組、薄、なんていう、どれも一緒なあだ名になってしまいます。
興味がないとか、自分とは違う世界って思っちゃうと、こういう集合体的なあだ名になってしまうのです。

 

昨日は、職人風の20代男性三人組が、どうもみんな同じに見えてしまって、
それぞれにあだ名をつけるのにてこずりました。
その三人の違いを見つけるって、かなり観察しないとなのです。

 

このあだ名付けゲームが何の役に立つのかはわかりませんが、

電車の中でスマホをするよりも、
頭の体操になって面白いです。

 

脳を休める

昔、仕事が忙しかった頃、覚えることと締切まじかの仕事がたくさんあって、プレッシャーと疲労で、記憶がところどころ飛ぶようになってしまったことがあります。

前日にした打合せや、送信したメールの内容などを覚えていないのです。
お酒を飲んで記憶がない!のシラフバージョンです。

自分がまったく信用できなくて、とても怖かったです。
記憶に頼れないので、とにかくなんでもメモしていました。

たぶん、覚えることとやることが多すぎて、脳の機能がオーバーフローした状態になっていたのだと思います。


その仕事から離れて、記憶が飛ぶことはなくなりましたが、
それ以来、人の脳にはキャパがあるのだなあと思うようになりました。


先日テレビを見ていて、
記憶が飛ぶことがある、という事例が紹介されていました。

今はネット社会で、情報が溢れすぎ。
脳の記憶領域は、ネット領域にある情報にはとうていかないません。

だけど、毎日その情報をできる限り処理していかなくてはなりません。


そのテレビで脳を休めるオススメの方法が紹介されていました。

一日に数分、なにも考えない、情報をいれない、ボーっとする時間を作ること。


お風呂や、寝る前に静かなところで目をつぶって、
その日一日あったことを朝から順に思い返してみるといいみたいです。

瞑想と似ていますが、
瞑想はできるだけ考え事をしないで無になる、ですが、
この方法は、朝からの行動や感じたことを順を追って再度見直していくのです。


試しに、お風呂の中と、電車の中と、寝る前にやってみました。

結果、とても脳がスッキリするのです。
その場で行動しているときには、目の前のことに必死でいろいろ気づかないことが、
後で思い返してみると冷静に考え直すことができるのです。

たとえば、人に何か言われた、ということも、
もう一度引いて再現してみると、
相手の意図が分かったりすることがあります。

それと、その場限りでは忘れ去られてしまうようなことも、
もう一度ゆっくり再現してみると、
脳への定着率が安定するから、
記憶率があがるし、それによって、自分への信頼度もあがって、余裕が持てるのです。

ボーっとして、その日のことを思い出すだけなのに、その効果はすばらしい!
感動しています!

嬉しいことは2倍、3倍にうれしい!って認識できるし、
何かひっかかることがあった日も、そのひっかかりをもう一度考えることによって、
何が問題だったのか、どうなったらいいのかを考える余裕ができて、
ネガティブな芽を早めに解決することができるように思います。

寝る前にやると、結構思い出すこと多いので、
最初のうちは細切れにこまめにこの時間を作ってもいいかなと思いました。