アウトプットすること
毎日アウトプットし続けるって大変ですね。
インプットの方がなんて楽なのって思います。
だけども、アウトプットの多い人生が、豊かな人生だと思うのです。
アウトプットすればするほど、失敗も増える。やっちゃったーーーーって思うことが増えるけど、それがいいのかも。
「人生とは、傷つくことを恐れて行動するためのものではなく、生まれてきたことを証明するために、傷跡を集めるためのもの」って、デビットボウイの妻イマンさんが言ってました。
わたしは順調に傷跡を集めてるぞ‼︎
出たとこ勝負
私はとっても慎重派です。
特に仕事だと、お金もらってるのだから、失敗しないように!って何回も何回も資料を確認して、入念に準備をしたい派です。
少し前ののネットニュースで、萩本欽一の記事になるほどって思ったので、メモです。
欽ちゃんが独自の“テレビ論”を披露!
「何度も練習するテレビ界のルールがずっと窮屈でさ。リハーサル、ランスルー、通し稽古に本番って合計4回も。ところがね、生放送中にステージの幕のスイッチが故障してね。舞台が終わって幕が下りて、二郎さんが衣装を脱いで帰り支度を始めたときに、急に幕が上がっちゃったの(笑)。でも、慌てる二郎さんを見たお客さんはバカ受け! 稽古で積み重ねたものじゃなくて、今起きている状況を見せるのがテレビの面白さだって気が付いたよ」
すごくわかるー。
準備しすぎて、いろいろ推敲しすぎると、本当に面白いところとか、生身のところが削げ落ちちゃうんだよね。
最近ドキドキしないのは、いろいろ準備しすぎが原因かも。
右脳のリハビリ中
色についてのお勉強をしています。
最初は、カッコイイ配色ができるようになりたい!でしたが、
最近は右脳のリハビリ、って思っています。
毎回お題がでて、絵具で自由に色を塗っていくのですけど、
なかなか色を決められなくて、ものすごく悪戦苦闘しています。
想えば、わたしは自由にアウトプットするという経験が仕事をするようになってほとんどなかったなあと思います。
私がやってきた仕事は、
システムとかリサーチとか、数値やデータを扱う仕事です。
いつもゴールがあり、再現性を重視されます。
たとえば、プログラムを作る場合、
インプットとアウトプットは決まっています。
その過程は好きに作れるけれど、
アウトプットという「正解」が常にある状態です。
テストをして、ちゃんとその「正解」になればOKです。
そして、できるだけその過程は、シンプルで完結なことがよしとされます。
プログラムに個性は必要なくて、誰が見てもわかりやすい、余計なものはそぎ落とされたものが良いとされます。
たとえば、店舗のサービスを評価する仕事があったとすると、
AさんとBさんが同じお店に対して同じ条件で付けた評価は、同じでないと問題になります。
気分や好みで評価基準はブレてはならないのです。
報告書は、雛形があって、それにそって、間違えがないように作るもの。驚きとかインパクトとか面白さよりも、数字が間違えてないか、ウソを言っていないか、フォントが全部そろっているか、が重要。
常に「こう判断すべき」という答えやマニュアルがある世界で生きてきたので、
ふと、まっしろな画用紙に好きな色を塗っていいです、正解はありませんと言われると、固まってしまいます。
何が正解なのか?つい正解を求めてしまう…
そしてゴールへのマイルストーン的な道筋も考えてからでないと、一歩が踏み出せないのです。
私にないものは、
即興とか、あいまいさとか、融通とか、その場のノリ、などです。
だけど、人生はまさに、
そういうものであふれています。
最近特に、人生に正解なんてないと思うのです。
バブルの頃までは、一般的な人生ってこういうかんじが幸せ、っていうのがあったけど、
今は同じ方向を向いている必要はないし、同じ方向を向くことで得られるものは少ないのです。
なので、わたしはそろそろ左脳的な考え方ではなく、曖昧さや独自性のある右脳を鍛える必要があるのです。
自分への質問
モーニングページの中で、自分にたくさん質問をするようにしています。
答えが返ってこない時は、質問の仕方を変えて。
茂木 健一郎
「最高の結果を引き出す質問力:その問い方が、脳を変える!」
を読んでいます。
質問することがいかに現状を打破る力があるか、書いてあります。
モーニングページで自分に質問すると、今まで気づかなかったことに気づくことができて、とっても楽しくて、ハマっています。
●今日のわたしへの質問
私が無防備でいるのはどんな時?
answer:
美味しいものを食べている時
寝ている時
家族といる時
1人の時
うーん、あとはなんだろう。
思いついたら追加しよう。
もっと無防備でいる時間を増やしたいです。
うれしいボロボロ
断舎利とかいって、まだまだ使えるものを捨てるのって、とっても心が痛みます。
一方、ボロボロに寿命をまっとうしたものを捨てるのって、寂しいけれどとても満たされた気持ちになります。
最近ボロボロになって処分したorしようとしているものです。
●無印のタイツ
お尻に穴が空きました。
これ、ホントに暖かくて、肌心地も良くて気に入っていて、毎日洗って週に3~4回履いていました。
真冬のタイツはこれだけあれば十分です。
同じものを冬物最終セールで買い足しました。
来年もまた買うつもり、というか、冬のタイツはもうこれしか買わないつもり。
●ユニクロのヒートテック、チャコールグレー
こちらも週3~4回着ていて、だいぶ布が薄くなってきました。
おととしも同じ形&同じ色を買って、同じように大活躍。
本当は、ネイビーも持っているのですけど、なぜかチャコールグレーばかりきてしまいます。
来年はチャコールグレーだけ買おうと思います。
今年は極暖も買って、そのあたたかさに感動したのですが、
襟ぐりが狭いのと、通勤電車では暑すぎるので、
ついつい普通のヒートテックに手が伸びます。
●ニトリのお弁当バッグ
2年間、平日ほぼ毎日使っていて、
中の銀紙がはがれてきたのと、ファスナーの取っ手が一つ取れてしまいました。
実は気に入りすぎて、もう一つ同じものを購入済みです。
●黄色のタンクトップ
指し色にちょうど良くて、こちらもかなりの出現率でした。
裾がヘロヘロになってきたので、そろそろ寿命かなあ。
これも同じものが売っていたらまた購入したいと思っています。
ここまで気に入って使うものって、ホント少ないです。
特に、靴下はたくさん持っているのですけど、たくさん持っているがゆえに、
今期3~4回しか履いていないものがたくさんあります。
そう考えると、まだしばらくモノを買わなくても、まったく困らないなあと思います。
だけど、そろそろ春だし、明るい色の服を着たいな~。
私は私の出した答えが欲しいのです。
日々、いろんな疑問が頭の中に浮かんできます。
ランチはどこにしようかな?
○○したほうがいいのかな?
○○と△△、どちらが得なのかな?
どうしていつも□□になってしまうのだろう?
どうしたら□□できるのだろう?
そして、その答えを得るために、googleに検索ワードを打ち込みます。
疑問→ネットで検索
が、もう一連の流れになってしまっています。
だけど、最近、どんなに検索しても、また同じことを検索しているような気がするのです。
結局、私が知りたいのは、
「どうしたら幸せになれるのか」なのです。
それを、いろんな角度から、いろんなパターンで検索して、
検索結果として出てきたサイトなどで、いろんな人の考えや意見を読むのですけど、
どれもそれほどひっかからないのです。
それもそのはず、
幸せの定義が人それぞれ違うのと、
どういう状態が幸せかは私しか知らない。
他の人の意見も時には参考になるけれど、
私は、私が出した答えが欲しいのだろうと思います。
それは、100%完成された答えではないかもしれないけれど、
その日によって、ころころ変わってしまうかもしれないけれど、
だけど、私からどういう答えが出てくるのか、そっちに興味が出てきました。
ネットで検索結果を得てしまうと、それ以上、自分に質問することをしなくなってしまうから。
だから、ネットで検索は、なるべくしない。
また検索しそうになったけど、今回はやめておこう、ってスマホを置くように、試みています。
日々、検索したい発作に苦しんでいます。
最近、
モーニングページや、ブログの下書きで、自分に対する質問を書いておくようにしています。
そうすると、今までネットでいくら検索してもわからなかったことが、
ひらめいたりするのです。
最近これが楽しいのです。
今日はどんな質問をしようかな。
ヨガ二ドラがどうしていいのか?
ヨガニドラが好きすぎます。
「1時間のヨガニドラーは4時間の睡眠に相当する」っていうけど、どうして?
調べてみました。
リラックスしてまどろんだ状態だと、シータ派という脳波が出るらしくて、
シータ派がでるとニューロンが増える。
記憶や潜在意識をつかさどる海馬を活性化するのに、このニューロンが必要。
海馬はストレスでやられちゃったりするのですが、活性化させることで若い頃のイキイキとした記憶力満載の元気な脳になるみたいです。
鬱状態って、海馬がやられちゃってる状態みたいです。
なので心を健やかに保つためにも、海馬は大切にしなければなりません。
海馬は軽い運動などでも活性化できるみたいですが、ヨガニードラでシータ派を出せば、ニューロンを増やせます。
ヨガニドラーはいわば、脳の筋トレ、なのではと思います。
アプリを使えば家で一人でも寝ながらできるので、誰でも、いつでも、お金がかからず、準備も必要ない、そして依存性もない安全な方法。
今日も寝る前にやるしかないな。